2020年10月14日八丈富士854.3m(八丈島最高峰、西山)登山記録

八丈島の最高峰、西山こと八丈富士に登って来ました!

ルート:神湊港9:15~ロッジオーシャン~登山口11:20~火口入り口~八丈富士山頂12:00~ぐるっとお鉢巡り~火口入り口~浅間神社~火口入り口~登山口13:10~ロッジオーシャン15:00

竹芝

前日の東海汽船夜行フェリーで竹芝を出港し朝9時に八丈島神湊港に到着!

神湊港

今回は、レンタカーも借りずの旅だったので、到着後、そのまま徒歩で宿のロッジオーシャンへ。チェックインの時間前なので荷物だけ預け、そのままさらに徒歩で八丈富士の登山口へ!

こちらの登山口に着くのに港から約2時間かかりました笑。土砂崩れがあったようで登山口周辺は工事していましたが、通行は可能です。

火口までは石段を登っていく。

火口入り口。ここからお鉢巡りがスタート。

山頂は風も強くガスっていて小雨もぱらぱら来てましたが何とか登頂出来ました!

その後、お鉢巡って火口入り口に戻り、いったん火口の下の方にある浅間神社へお詣りに。

火口の原生林の中にたたずむ鳥居は実に神秘的でした。

そして下山。

登りでは気づかなかったんですが、登山口~麓までの間に牛が放牧されている箇所があり、牛さんがいました笑。一瞬、熊かと思って焦りました汗。

下山後も徒歩で宿まで戻り、登山終了。

港からの登山だったのでほぼ標高0m~854.3mまで自分の脚のみで登りました!

登山の模様をYouTubeにも上げましたので良かったらご覧下さい。

ヤマップの記録はこちら

最終章・僕が薄井を恨む理由。

前回、からの続き。

ついに今回こそ最後にします。

意気揚々と、僕のお古のショートタイツを受け継ぎたいといってくれた薄井君。

それは、昨年末。

BASARAの西新井大師西スタジオ大会。

そこで薄井君はエキシビションマッチを行いました。記憶は曖昧ですが、確かこのエキシビションの内容次第でデビューが正式に決定するはずだったと思います。

結果は…、見事、合格し後楽園ホールでのデビューが決定しました。

そして、僕はわざわざ実家によって物置を掘り起こしてまでして持ってきたショートタイツを薄井君にプレゼントしたのでした。

以前の記事にも書いた通り、3つの黒ショートタイツがあったのですが、せっかくのデビューでお古はかわいそうだと思い、3つあったうちの作ったけど結局サイズが小さくて使わなかった新品未使用のショートタイツをプレゼントしました。薄井くんは当時の僕よりかは一回り身体も小さく感じていたのでサイズ的にも丁度良いかと思ったのです。

西新井大師西スタジオの控え室で試着した彼は、

「ぴったりです!使わせて頂きます!ありがとうございます!」

力強く言い放った彼の姿が脳裏に焼きついている。

そして迎えた、彼のデビュー戦。後楽園ホール大会。

リングの設営を終え、選手たちはリング回りで各々アップする中、遠めでコスチュームを着た薄井君が目に入りました。

お!着てるな!

と近づいてゆくと、

は?

はあ???

そこには、青いショートタイツをはいた薄井テツオが鎮座していました。

僕の姿を見るなり、気まずそうにして、彼は一言。

「あ、すいません。実はやっぱり青いのが良くなって買いました!」

は?

「い、いただいたものは他団体とか別の機会で使わせて頂きます!」

はあ???

『はああああああああ???てめえ、もう使わなくていいから今すぐ返しやがれ!こらぁ怒!』

と、

思わず口からでかかったものの、

デビュー戦を目前に控え、緊張もしているだろう彼に対し、強張る顔を無理やりにこやかにしつつ、

「お、そうか。デビュー戦頑張れよ!」

と大人な対応を。

しかし、

その心のうちは、

『おまえには、何があっても一生先輩らしいことはしてやらん!怒!』

と固く誓ったのであった。

長くなりましたが、以上が僕が薄井鉄央君を人間として全く信用出来なくなってしまったことの顛末であります。

僕が3つのショートタイツを所持していた理由など書いていく内に、長くなってしまいましたが極力、記憶をたどり過去の内容も正確に記述するよう努めました。

改めて大家健さんと薄井鉄央君に対する積年の恨みを忘れないためにもブログに記させて頂きました。

最後まで、お読みになったかたありがとうございました。

デビュー戦直後と思われる僕。

一生恨み続けます。

前回からの続き。

はい。ようやく今回で最後になると思います。多分。

そんなトラブルがあり、デビュー戦を前にオーダーメイドで作った黒いショートタイツはわずか3試合ほどで行方不明に。その後は大家さんのおさがりパンツで試合するハメになった僕ですが、もやもやとした気持ちながらなんと結局、1年近くもおさがりパンツで試合することとなります。

早く新しいの作れば良かったんですが、なんでしょうかね?絶望が大きかったからか新しいモノを作る気力がなかったのかもしれません…。この件については大家さんのことは一生恨み続けるでしょう。もう、本人はこれっぽっちも覚えてないかもしれませんが僕は一生忘れないでしょう。

ともかく、一年後にようやく新しく黒いショートタイツを作ったのでした。そしてこのとき、もしかしたらまた不慮の事故で紛失するかもしれない…!?と思い、二つ作りました。

これからもっと体重が増えたらと思い一つはサイズが大きめのモノ。一つはこれから体重が減ったらと思い自分のジャストサイズより小さいモノ。

結局、小さいモノは当時の僕には小さすぎて大きいモノしか使いませんでした。この時点で僕の手元には大家さんのおさがりパンツを入れて3つの黒いショートタイツが。その後、コスチュームを変更して、ロングタイツにしたりしたのでショートタイツは3点ともお蔵入り。

さて、時代は進んで昨年末になります。

デビュー戦を控えた薄井鉄央君に、コスチュームどうするの?と聞いたら意外にも、

「ショートタイツでいきます!」

との答え。最近はデビュー戦からハデでキラキラしたコスチュームの選手も沢山いるのでこの答えには(俺と同じだなあ)と好感を持ちました。

聞くと、日は迫っているのにまだコスチュームの用意はしていないとのこと。

話の流れで、上記の僕が大家さんのおさがりパンツをはいていた経緯を話し、僕の実家に黒いショートタイツが眠っている話をしました。半分冗談で、

「間に合わなかったら大変だし、俺のショートタイツあげようか?」

と、テツオ君に言いました。まあ、デビュー戦だしおさがりなんて嫌だろうな笑。と思いつつも。テツオくんは、

「欲しいです!僕にそのショートタイツを受け継がせてください!」

と目を輝かせて言い放ったのでした。

すいません、最後になると思いましたが、疲れたので一端筆を置きます。

続く。

俺は、一生恨み続けます。

2020年10月6日 金時山(1,212M 富士箱根伊豆国立公園)通算46回目の登頂、登山記録。

恒例の金時山。通算46回目の登頂。

今回は、みかん屋さんの曽我さんと。

富士山は見えず。

帰り道、お昼時だったので、万葉うどんさんで食事。

いつもは、そそくさと帰路に着きますが笑

季節のきのこうどんを頂きました。

午後は、ボルダリングジムへ。

ボルダリングは、重心移動など格闘技に通ずるものも多々あると思いますが、その反面、ウェイトトレーニングを日ごろから行っている人はすぐに腕がパンプしてしまったり、大きすぎる筋肉は返ってボルダリングには邪魔だと感じます。

例えば壁を登る動作は引く動作が殆どで押す動作に関わる大胸筋はほぼ使わないと言っていいと思いますが、壁にへばりつくと大きい大胸筋は確実に邪魔になります。そして大きい筋肉なので重量的にも無駄な体重になってしまいますね。

いや~でもボルダリング、楽しいです。

ジムにあったこの懸垂器具は家に設置したい笑。

ショートタイツの行方。

前回からの続き。

思い返してみても、ショートタイツを返してくれた時の大家さんは、様子がおかしかった。

僕の目も見ずに返してくれたかと思うと足早にその場から去って行きました。

もしかしたら、心にやましい事があったのかもしれません。

手渡されたショートタイツは、同じ黒のショートタイツとはいえ、パッと一見しただけでも自分のものと違うことが分かりました。

大きさも僕のものよりは一回りも大きいし、生地の縫い目の位置も違う。裏地の色まで違いました…。

そしてなにより一般的なショートタイツと違って太もものカットの部分がそれほど鋭くなく、結構太ももの上部まで隠れるものでした。

僕はすぐにわかりました。

そう。

それは、当時金髪ロン毛時代の大家さんが使用していたコスチューム。

すぐに、自分のものと間違えて渡したのだと思って、まだ近くにいた大家さんに聞くと、確認もせずに

「え…、い、いや、俺それしか持ってないよ!知らないよ!」

…と。

「自分のコスチューム間違えるか…泣!?」

と反射的に口から出かかったのを必死にこらえ、その日大家さんのコスチュームで試合をしたのでした…。

後日、モヤモヤした心を晴らすために大家さんの事を学生時代から知る先輩Kさんにこの話をしたところ、

「それは、とぼけてるだけだね。自分のと間違える訳ないじゃん笑。なくされたね。諦めろ。」

絶望。。。。

続く。

分かりやすい写真がなかったんですが、これがデビュー戦の時の写真。カットの鋭い一般的なショートタイツです。

そしてこちらが大家さんのおさがりパンツ。ふとももの上部まで隠れるタイプのものです。

2020年9月29日 プロレスリングBASARA新木場大会

9月29日はプロレスリングBASARA新木場大会でした。

こうやってプロレスの試合の事をブログに書くのはいつ以来でしょう…。半年以上ぶりな気がします。

実を言うと各種SNSでもここ最近プロレスの試合のことについては発信していませんでした。というか発信出来なかったというのが本当のところです。

何というか、僕が普段生活している場所は、東京から結構離れていて、まだまだアレに関しては大分認識が厳しい方も多くそこは、何となく察して頂ければと思います…。

SNSではまだ直接的に発信は出来ないも知れませんがブログ位ならまあ大丈夫かな笑。ということで久しぶりに書きたいと思います。

この日の試合は第一試合で、プロレスリングBASARA生え抜き二号の薄井鉄央君とのシングルマッチでした。

昨年末にデビューした彼と試合で当るのはこれが始めて。

彼と試合するにあたって彼のプロフィールを調べてみたんですが、何と僕と丁度10才違い。で、僕はと言うと丁度デビュー10周年。

自然と10年前の自分の姿と照らし合わせてしまいました。

最後は、ストレッチマフラーホールドで試合を決めました。

この技は最近使い始めた技なのですが、使い始めたのには理由があって、10年前のデビュー戦で敗れた技だったのです。

10年前、苦しくて苦しくてタップアウトした技。10年経って、あれかけてる側はどんな気持ちだったんだろうとふと思って使ってみたら意外としっくりきたので使い始めました。

薄井君はどんな気持ちだったでしょう…。

さて、そんな薄井君ですが僕にとっては、かわいい後輩でも何でもありません笑

むしろ、彼に対しては思うところがいくつか…。

これは半分冗談ですが半分本当です笑。

その真相について書きたいと思います。

ここからはちょっと話が僕のデビュー時にまで遡ります…。

ザ・プロレスラーといった格好に憧れていた僕は迷うことなく黒のショートタイツでデビューしました。

しかし、このデビューのときにオーダーメイドで作った黒ショートタイツは不運にもわずか3試合ほど使っただけで行方不明になってしまいます。

デビューしたてのある大会で、当時ユニオンプロレスの先輩だった大家さんに「ちょっと、ショートタイツかしてくれない?」と言われます。

その大会では普段と違うコスチュームを着る選手がいて黒のショートタイツが必要だったようですが、大家さんがその手配をしていたようです。

もちろん、なんの疑問も無く貸した僕のショートタイツ。

その大会ではセコンドについておりリング上である選手を見て、

「あ、俺のショートタイツだ。」

と心の中で思っていました。

ここまでは良かったのですが、大会終了後、タイトな撤収時間の中、ばたばたしている中で若手の自分は先輩である大家さんに自分からコスチューム返してください!と言えるはずもなくこの日は終わってしまいました。

このとき、コスチュームは一つしか持っていなかったので洗濯することを考えると次の試合までには必ず自分の元にもどさないといけません。

次の日に、大家さんに恐る恐るメールすると…。

「ごめんごめん、返すの忘れてたよ。洗濯して返すから!」

と。

次の試合までに大家さんに会うことは出来ませんでしたが、次の試合は幸運にも大家さんも一緒でした。安心して試合会場に行くと。

「はい!ごめんね!返すの遅くなって!」

とようやく僕の元に愛しの黒ショートタイツが戻ってきました。

良かった…。

良かった………。

良かった……………。

いや。

違う。

これ、俺のショートタイツじゃない…。

※思いのほか、話が長くなりそうなので続きは後ほど書きます。すいません。